身を守ることを考える・・
2011年06月09日

分かるかしら、奥が海です

昨日、はーたん の 練習 で行った場所。

前のブログに綴ってますが、
神様 がいっぱいの場所

高台なんですが
ここだったら、今回のような 津波 がきても大丈夫だはず。。

ほんと、しょっちゅうそんなことを考えながら行動するようになってます


この画像は、あの日
『第一波でこれ やべぇ』

のメールとともに
にぃにぃ が送ってきた時の画像です。
このメールを最後に音信不通となりました。
テレビではちょうど、まさに にぃにぃ の学校へ津波が向かっていく映像が
リアルタイムで流されていましたので
間もなく入ったにぃにぃ のメールには
無事ではあるんだと、一瞬安心したものの
テレビからは
2波3波と押し寄せてくるので高台へ避難してください・・・
10メートルの高さの予想・・・
と繰り返し呼び掛けている。。

電話は繋がらない、メールを送っても返信がない
どんどん気持ちは、よからぬ事しか考えられなくなっていくわけで。。

音信不通から3日後に、避難所から無事の連絡をしてきた時のことを思い出すと
今でも胸がいっぱいになります

にぃにぃ がうちに帰ってきてからは
震災のことは、あえて聞かないようにしていたんですが

にぃにぃ が戻っていった後、当時の様子が知りたく
インターネットで情報を収集してみると
かなり詳しく知ることができました

海から1.3キロしか離れてない校舎では、大地震後、まずは全校生徒を校庭に集めたようです。
校舎と同じ敷地内にある寮の寮監は、自衛隊出身者で、この方が海岸方面を見ると、
既に津波が防風林をなぎ倒しながら向かっていることにいち早く気付き
とっさに「津波がくるぞ!」と叫びながら
頑丈な建物である体育館のテラスへの非難を指示したのだそうです。
津波は「水の壁」(地元民の目撃情報)のように大きく、猛烈な速さで
海岸沿いの工場や住宅、車などあらゆる物をもてあそぶかのように一気に呑み込み
学校の門の道路を隔てたところに遊水池があって、そこに海水がどっと入り込んだために
津波のスピードが一瞬鈍り、遊水池のお陰で学生の命を奇跡的に救ったといえる・・・
暗闇、恐怖、寒さの中で、教員が機転を利かせ、窓のカーテンを引きちぎるよう指示。
学生達はカーテンを布団替わりにしてわずかな暖をとり、
身を寄せ合って眠れぬままで夜明けを待った・・・
まだ続くんですが、あの辺一帯は、どこより早く、おびただしい数の死体が発見された所なので
とにかく 全校生徒全員無事 というのは奇跡的だったようです

運が良かったと思います。
沖縄では230年前に 明和の大津波 というのがあったようですね。
調べると、今後沖縄でも 巨大地震 が起きる可能性はあるわけで、
沖縄本島の南約100キロの琉球海溝の海底で
プレート同士がくっつき、ずれる時の反発で地震を起こす固着域を見つけたとのこと。
この固着域がずれることにより
マグニチュード8 を超える巨大地震が発生し
沖縄本島は 震度6 前後の揺れに見舞われる可能性があると、琉大研究班の報告がありました

さらに、100キロ沖が震源ということは、今回の200キロ沖で発生した地震の半分ということになるので
単純計算で、津波が押し寄せてくるまでの時間も半分になるとのこと。。

まったく 恐ろしい 限りです

どうやって身を守るか。。
しっかり考えなければいけないですよね

Posted by ひの'sばぁば at 13:27
│東日本大震災